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【福知山城、御霊神社】明智光秀が目指した理想郷を探る!

      2021/06/19

京都丹後の福知山城へ行って来ました。

福知山城には、明智光秀が本能寺の変を起こした謎を解く鍵が隠されていると言われています。

本能寺の変という日本史の一大ミステリーの謎を探りながら、福知山城を見学して来たので、その様子をご紹介します。

先週のことですが、NHKのテレビ番組【絶対行きたくなる!ニッポン不滅の名城「明智光秀の城」】を見ました。

その番組内で、なぜ明智光秀は織田信長を討ったのか?!、

その謎を解くカギは光秀が造った名城にあることや、

明智光秀と織田信長の考え方の違いが、お城にあらわれているという事を紹介していました。

最新の研究に基づき、明智光秀の福知山城、織田信長の安土城を対比することで、真実が浮かび上がってくるそうです。

面白いですね。

織田信長の造った安土城は、山の頂上に天守閣をおき、その天守閣を頂点におくピラミッド構造になっていました。

まさに権力の象徴であり、織田信長は自らを神とし、最高の権力者に自分をおきました。

天守閣、お城の下には、有能な武士を配置し、更にその下に町民をおき、身分順に住む所が低くなっています。

領民が安心して豊かに暮らせる国造りを目指したとも言われていますが、蓋を開けてみると、織田信長ファーストになっていたかと思います。

一方、明智光秀が築城した福知山城は、天守閣が中心にあるものの、お城と城下町のあちらこちらに町民を思ったゆえの思案が見受けられます。

その一つが、福知山城の石垣です。

福知山城の石垣には、多くの転用石が使われています。

転用石は、当時、町にあった燈籠や墓石などが使われていて、しかも逆さまに置かれていました。

これには理由があり、町民のために、早く築城する必要があり、古い考えに拘らず燈籠や墓石などを使用し、逆さまに置くなどして、穢れの逆転の発想で、聖なる石として使用されたともいわれています。

これには町民を安寧に導くという明智光秀の思いが見受けられます。

また石垣の石材を集めるだけでなく、その代わりに補償として石を配ったという伝承もあります。

光秀の人柄がでていますね。

また城下町を見てみると、土地の高いところに、町人町をおき、低いところに武家町を置きました。

これは、町民を守るという思いと、経済の発展を担う町民のことを考えた町造りとなっています。

また明智光秀は、町民の屋敷にかかる税金を免税をしたり、水害からお城と城下町を守るために、城下町を作るときに発生した土を使って、明智藪という堤防を作り由良川の流れを変えました。

福知山城と城下町には、武家が中心になるものの、領民の平和、安泰の暮らしを優先的に考えていたのでしょう。

さらに楽市楽座を設け、経済発展に力を入れ、今に至る福知山発展の基礎を築いたのです。

福知山は、住民のためにお城と町があるということです。

こういった所をみると、織田信長と明智光秀の目指した世界は、全く逆だったように見えます。

そして、本能寺の変を起こしたという理由が、ここに隠されているのだと思います。

自らを神と崇め、権力で領民を支配下にしようとする織田信長に、明智光秀は見切りをつけて、領民ファーストの国造りをしたかったのだと思います。

福知山城と城下町は、明智光秀の目指した国造りの思想がみられます。

また福知山城は、時代を先取りした城だと言われています。

私達は、福知山城を見学して、明智光秀の思いを感じたと同時に、織田信長との違いを明確に感じました。

織田信長は、いかにして自分が天下を取るのかを考えていたのだと思います。

一方、明智光秀は、 領民が暮らしやすい世の中にするために、日本をどうしたらいいのかと考えていたことが、お城から読み取ることができます。

福知山城と城下町を回り、明智光秀が福知山の人々に愛されている理由がよくわかりました。

実際、福知山に行ってみて戦国時代から、かなり年月がたつのに、今でも福知山の人々に愛されているなんて凄いな~と思いました。


当時の福知山の人にとっては、明智光秀は、ある意味、侵略者だったはずです。

普通、侵略者と言えば、恨まれるものですよね?!

しかし、恨まれずに、逆に愛される存在になっているということは、他の武将とちがうところですね。

多くの武将は、攻めた土地の人を、力ずくで自分の支配下に置きますが、明智光秀は、権力で押さえつけたのではなく、その土地の人々の事を考え、平定し善政を行ったからこそ、良君として領民に慕われたのでしょう。

そして、光秀は今でも福知山の人々に慕われています。

明治時代には、謀反人である明智光秀を崇めることは禁止され、光秀に関する資料を捨てるように通達されたそうです。

そして明治に廃城令により、福知山城は取り壊され石垣と銅門番所だけが残りました。

その後、天守閣は、昭和61年に市民の瓦1枚運動の熱意によって三層四階の天守閣が復元されたそうです。

今でも、光秀が行った善政の真実は、戦国時代、江戸時代へと伝えられ福知山の人々の心の中に残っています。

天守閣からは、城下町や丹波の自然、川、山々などが一望できます。

天守閣からの眺めは最高です。

明智光秀も、ここから景色を眺め、皆が幸せになる世の中になることを願い、争いのない平和な世界にするにはどうすればいいのか考えていたのかな~と思いました。

光秀が目指したのは、 大調和の世界『弥勒の世(理想郷)』だったのでしょうね

実際、丹波に行ってみて、明智光秀でゆかりのスポットを巡り、明智光秀の思いを感じることができました。

最後に、明智光秀が神として祀られている御霊神社を紹介します。

私たちは福知山城に行く前に、御霊神社へご挨拶にいってきました。

御霊神社は、『本能寺の変』から100年以上後に、領民たちからの強い願いで明智光秀の霊を祀ったそうです。

私達は、まずは本殿をお参りし、明智光秀を感じました。

明智光秀が目指した国造りは、全員が幸せになれる世界です。

人を支配したり、人を蹴落としたり、必要以上に人を批判する世界ではありません。

光秀は、有力な家臣たちの自立を認めながら、強い明智軍をつくっていきました。

強者も弱者も、自分の個性に気付き、それを伸ばしていくことができる世界です。

現代も、強者が弱者を蹴落とし、支配するようなところが残っています。

早く、皆が平穏に暮らせる世の中に変わるといいですね。

明智光秀を祀る御霊神社から福知山城まで、不思議と黒龍さんと一緒に移動することになりました。

やはり明智光秀は世直しの役目を持っていたのでしょうね。

PS.福知山という地名をつけたのは明智光秀だそうです。

和泉式部の歌集にある『吹風山』に、吹を福に縁起よく変え、福智山と名付けたそうです。

福知山には、『この地に福が来るように』という明智光秀の思いが込められているのですね(^^♪

 

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