【京都の大徳寺総見院】勝軍地蔵、織田信長と明智光秀が時代を超えて和合
2023/04/16
前回の続きです。
【京都 金蔵寺】武将に愛された勝軍地蔵のパワー(御開帳日4月23日)
私たちは、金蔵寺に祀られている勝軍地蔵さまにお会いした後、
不思議な流れで、京都の大徳寺の敷地内にある総見院へ行くことになりました。
大徳寺総見院の春の特別公開
この時期、「春の特別公開」をされていたので、総見院を拝観することができました。
拝観料は、大人一人600円です。
春、秋は特別公開で拝観できますが、普段は、非公開のため総見院へ入ることはできないようです。
総見院は、豊臣秀吉が、織田信長亡き後、主導権を握るための建立した歴史的に重要な寺院です。
総見院は大徳寺の塔頭寺院の一つです。
織田信長の菩提を弔うために、豊臣秀吉が建立しました。
開祖は千利休の師、古渓宗陳(こけいそうちん)です。
胡蝶侘助(こちょうわびすけ)
私たちは、総見院の中に入って受付を済ませると、総見院の方が、先ずは境内にある掘り抜き井戸や侘助椿(ワビスケ)などの説明をして下さいました。
侘助椿は樹齢400年で、秀吉が千利休から譲り受け植えたものだそうです。
千利休が愛した侘助椿(ワビスケ)はツバキの一種で、桃色の花が咲き、茶花として用いられました。
大徳寺総見院は、茶人である千利休ゆかりの地でもあり、茶道に深い関わりのあるお寺でもあります。
千利休は茶の道を極め、侘び寂びという本質的な美しさを見出し、“茶聖”と称されていました。
境内には、三軒の茶室「龐庵」「寿安席」「香雲軒」があります。
しばらく、庭園を散策しました。
そして、本堂に入り
本能寺の変後、秀吉が奉納したという、仏師 康清の彫刻作である木造の織田信長公坐像(重要文化財)を見ることができました。
約115cmの大きさで、等身大で作られたものだそうです。
信長さんは、意外と身長が低かったのですね。
全長160センチもなかったのかな・・・
織田信長のイメージが変わりました。
また織田信長が実際使っていたというひょうたんの花瓶も見せてもらい、エネルギーで繋がることができました。
そして、織田家のお墓参りをしました。
こちらには織田信長の正室、帰蝶(濃姫)のお墓もあります。
お墓参りが終わった後、とても体が軽くなったような気がしました。
「調和・和解」
明智光秀が本能寺の変の前に拝んだ勝軍地蔵に会いに行き、その後、織田家のお墓をお参りし、
2つのエネルギーの違いを感じながらも、「調和・和解」というメッセージをいただきました。
戦後時代は意見が対立すれば敵対関係にもなります。やるか、やられるかのような状況です。
明智光秀が本能寺の変を起こした理由も少しずつ分かってきました。
以前は恨みの説が有力でしたが、今は「権力から大切な人を守るため仕方なく行った」という説が有力です。
もし、織田信長と明智光秀が現代を生きていたら、対立はするも話し合いで決着を付けていたと思います。
今なら、きっと「調和・和解」の本能寺の変が起きていたことでしょう。
総見院の庭園には、牡丹の花がとても奇麗に咲いていました。
牡丹の花から織田信長の正室、「帰蝶」を感じました。
戦国時代の絡まってしまったエネルギーが少しずつ解けていき、業が清算されたような気がしました。
「皐盧庵茶舗(コウロアンチャホ)」一期一会・おもてなしの心
そして、近くのお茶屋さんで、少し休憩することにしました。
ここでも、少し不思議なことがありました。
抹茶アイスが食べたくなって、ネットで調べて車でお店まで行ってみました。
私たちは、お店に入ってから、ネットで調べたお店と違うお店に入ってしまったことに気づきました。
もう部屋にも案内され、「お店を間違えました」とは言えません(-_-;)
お店を間違えるなんて、よほど疲れていたのでしょうか(笑)
お店の看板も全然見ていなかったなんて・・・
今まで、こんな間違いをしたことは一度もありません。
とても不思議な感じでした。
メニュー表を見て、入ったお店を調べてみると、
大徳寺の敷地内にある自家製園宇治茶を扱っている「皐盧庵茶舗(コウロアンチャホ)」というお店でした。
大徳寺から出たつもりでしたが、まだ大徳寺に居たのですね・・・
大徳寺って意外と大きいんですね(;'∀')
私たちは「紅茶とW.ボレロの抹茶を使ったケーキセット」を注文し、個室でゆっくりくつろぎました。
このケーキセットの、
抹茶ケーキは、滋賀県守山市にある人気洋菓子店「W.ボレロ」さんのオリーベというケーキです。
オリーベは、皐盧庵さんの濃茶を使用しています。
飲み物は、京都産紅茶「山城」、オーガニックスパイスティ、セイロンの三種類から選べます。
私は京都紅茶「山城」にしました。
ポットはサービスです。
大徳寺納豆のビスコッティ、抹茶のアイスクリームが付いてきます。
「大徳寺納豆」は、昔から大徳寺に伝わっている納豆で、健康や美容に良いと言われています。
また、この茶室の空間がとても心地よくて、疲れた私たちを癒してくれました。
皐盧庵茶舗では、店主が自ら育てた抹茶や煎茶、ほうじ茶などのお茶やお菓子を、
風情ある茶室でゆっくりと楽しむことができます。
お店の方も、お茶やお菓子のことを丁寧に説明してくださいました。
店主が「千利休」に見えてきました(笑)
戦国時代に、おもてなしの精神で茶道を極めたのは千利休です。
千利休の有名な言葉で、
一期一会(いちごいちえ)という四字熟語があります。
一期一会とは、茶道の心を表した言葉で、全ての出会いに感謝と感動の心を持ち、出会いを大切にしましょうという意味です。
茶道のおもてなしの精神とは、人との出会いを一生に一度のものと思い、
相手に真心を尽くして一服のお茶を立て、相手も清らかな心で美味しいお茶をいただくこと。
一期一会の縁で出会った者同士が、ひと時の時間を、お互いに心を通わせて共にし、穏やかな空間を作り上げることだと思います。
また千利休が伝えた「侘び寂びの心」とは、日本人の本来の精神性でもあり、
余分、不要なものを手放し、シンプルにありのままの自然の姿を受け入れ生きること。
自分が今いる環境の中で、楽しみを見つけ、心が豊かになるものを感じること。
今あること、全てに感謝ですね(^^♪
間違えてなければ、たぶん行くこともなかったお店ですが、とても気に入り、
またこちらのお店に訪れて、色んなお茶を味わってみたくなりました。
たまには、ゆったりとお茶を楽しむ時間って本当に大切ですね。
茶道の世界は深いものがあります。
本当に贅沢なひと時を過ごすことができました。
一時間ほどお茶の世界を堪能し、私たちは比叡山近くの「北白川天然ラジウム温泉」に寄って帰ることにしました。
瓜生山の勝軍地蔵と北白川天然ラジウム温泉「えいせん京」
北白川天然ラジウム温泉「えいせん京」、お気に入りの温泉です。
よく利用させていただいていますが、
こちらの天然ラジウム鉱泉は、いつも疲れた体を癒し、免疫を活性化し高めてくれます。
この温泉の源泉は、裏山の花崗岩の岩盤から湧き出ているそうで、万病にも効果があるとして知られています。
ラジウム含有量も全国トップクラスです。
何度も利用させてもらっている温泉ですが、今回源泉を調べていたら凄いことに気づいてしまいました。
なんと、この北白川と勝軍地蔵は、深く関係があったのです。
北白川温泉のバックに瓜生山という山があります。
瓜生山の山頂には勝軍地蔵が安置されていることから、
昔は勝軍地蔵山とも言われていて、
勝軍地蔵城(別名:北白川城)と呼ばれるお城がありました。
明智光秀は比叡山延暦寺き討ち前に、このお城に籠り京都を監視するための拠点として使用していました。
比叡山焼き討ち後、織田信長が京都を支配すると、勝軍地蔵城(北白川城)も役目を終えて廃城となりました。
また瓜生山には、 数百年生きた白幽子という仙人が棲んでいたという伝説があります。
白幽子は「内観の法」を伝え、人々を病から救いました。
そのせいか、勝軍地蔵は、江戸時代に入ると感染病・疱瘡除けや飢饉・前世からの災厄も逃れることができると庶民からも篤く信仰されました。
戦国時代に瓜生山に祀られていた勝軍地蔵は、のち北白川山に移され、現在は清茶山におられるそうです。
北白川ラジウム温泉の水のエネルギーは、勝軍地蔵と関係があるのかもしれませんね。
川の水の写真を撮ると、異次元につながるような写真が取れました。
今回の旅は金蔵寺の勝軍地蔵で始まり、木嶋坐天照御魂神社(蚕ノ社)→石清水八幡宮→妙心寺→大徳寺総見寺を訪れ、そして最後に偶然にも北白川の将軍地蔵で終わり、勝軍地蔵さまに導かれた旅だったように思います。
後で調べてみると、北白川天然ラジウム温泉、瓜生山、清茶山のライン上には大徳寺がありました。
最後に北白川天然ラジウム温泉「えいせん京」で目に入った、「牡丹」と「おもてなし」の絵はメッセージのような気がします。
勝軍地蔵さまが、織田信長を明智光秀を時代を超えて和合させたように感じました。