五頭龍と七面天女に秘められた相模国 鎌倉の謎
2022/01/25
前回の記事の続きです。↓
寒川神社に正式参拝した後、今年も江ノ島のライトアップに行こうかと思い、江ノ島の方へ車を走らせました。
しかし、何故か別の場所に引っ張られます。
私たちは、江ノ島の近くにある龍口寺によってみることにしました。
こちらのお寺、昔は龍口刑場跡だったんですね。
後で知りました( ゜Д゜)
龍口寺は神奈川県藤沢市片瀬のある日蓮宗の本山です。
お寺の前には『江ノ電』が走っています。
江ノ島に行った時に、お寺の前は良く通っていましたが、
なかなかご縁がなく、寄ることはありませんでした。
五頭龍大神を祀っていた龍口明神社 元宮
龍口寺の西隣には龍口明神社 元宮があります。
元宮は鎌倉最古である神社ですが、
現在は龍の胴にあたる鎌倉市腰越に移転されています。
今回、私たちが元宮に行った時は、時間帯もあってか参拝できなくなっていました。
江の島弁財天と龍口明神社は夫婦神社になっています。
江の島の弁財天と龍口明神社の五頭龍の伝説
江の島の弁財天と竜口明神社の五頭龍の伝説は有名ですね。
五頭龍は、一身五頭の龍神です。
昔、武蔵国と相模国の国境付近の湖に五頭龍が棲んでいて、悪事を働き、村人たちを苦しめていました。
そんなある日、天地雷鳴し江ノ島が出現し、天から弁財天が降臨されました。
弁財天のあまりの美しさにひと目惚れし、恋をした五頭龍は改心し、
その後、弁財天と結婚をし、神通力を使って村人たちを助け自然の災害からも守るようになりました。
そして五頭龍は神通力はなくなり、力尽きてしまいました。
しかし「これからも山に宿り、人々を守ろう」と、
国家安泰の「五頭龍大神」となって、今も相模国の山に眠っているという伝説です。
素敵な話ですね。
どこか九頭龍と似ていると思いました。
五頭龍大神が眠る山は、片瀬にある竜口山であると言われていますが、本当にそうなのでしょうか?
話は龍口明神社に戻り、
五頭龍は弁財天の夫でもあり、その五頭龍が祀られているのが「龍口明神社」です。
「龍口明神社」は、神武天皇の母である玉依姫命も祭っています。
玉依姫命は海神族の祖先なので龍神として崇められています。
村人達は、改心し山となった五頭龍を祀る為に、
龍の口に当たるところに龍口明神社を建てました。
龍口という名前は、龍口明神社元宮の背後の山々が龍の胴に見え、
その龍が海に向かって口を開けている姿に見える為、龍口と呼んだそうです。
私たちは、龍口明神社 元宮には入れなかったので、鳥居に立ち、そこからご縁を頂けたことにお礼を伝えました。
鳥居を潜るとエネルギーが変わっているのがよくわかります。
ここはポータルがあるのか、異次元の入り口のようになっています。
【龍口寺】七面天女を祀る七面堂
日も暮れてきたので、急いでお隣の龍口寺にもお参りしました。
薄暗くなってきたせいか、洞窟辺りで少し霊的なものも感じました。
本堂をお参りし、更に上にある七面天女を祀る七面堂まで行くことにしました。
七面天女は、乱れた国を鎮めてくれる女神でもあります。
時代を動かすpowerを持つ女神です。
途中にある「経八稲荷神社」のところから、また更にエネルギーが変わっていきます。
写真を撮っても、ほとんどピントが合わないのです。
この階段を上がると、七面天女を祀る七面堂があります。
七面堂では、写真撮影禁止だったので、写真なしです。
七面天女は、山梨県南巨摩郡の七面山を守護する女神です。
こちらの七面天女は、江戸初期に勧請したそうです。
神さまの名前は、人間がつけたものなので、
七面天女と江の島の弁財天は同じエネルギーをもっているのではないかと私は思います。
この龍口明神社(元宮)、龍口寺に、なんとなく気になり、少し寄った意味が後でわかってきました。
こちらのエネルギーを運び、翌日に行くことになった相模湖と結んだようです。
鎌倉幕府のミステリー
話が少し変わります。
今年スタートした、NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』に登場する、北条政子の父である北条時政は、
江の島の弁財天を深く信仰していたようです。
時政が、江の島に籠り子孫繁栄を祈願すると、満願の夜の明け方、龍神が現れ、
『願いは叶えるが、正しい行いをしなければ、北条家は滅亡する』と告げ、
時政の手の平に、3枚の龍のウロコが残されていたそうです。
ここでも龍神が出現します。
そして時政は、龍神から授かった3枚の「鱗」を組み合わせた「三つ鱗」を北条家の家紋にしました。
また、新田義貞の鎌倉攻めでも龍神が出現します。
鎌倉幕府が滅亡する時、幕府を倒したのは新田義貞です。
鎌倉は山に囲まれているため、新田義貞が攻めあぐんでいました。
新田義貞が剣を海に捧げると龍が現れ、潮が引き、海岸沿いに道が出来たと言います。
龍神を味方につけ、稲村ヶ崎を奇跡的に突破し、鎌倉を攻めました。
もう1つ神がかったことが起きます。
鎌倉攻めでは討幕軍が放った火が炎上、6000人以上の死者が出ます。
鎌倉幕府執権の北条高時は800人以上の家臣と共に自害し、150年続いた鎌倉幕府は滅亡しました。
炎上は北西から強い風が吹き込み、火が広がったとも言われています。
通常であれば、北西から鎌倉へ風が吹くようなことはないそうです。
地図を見ると、鎌倉の北西には相模湖があります。
相模湖から風が吹き鎌倉は火の海になったのでしょうか?
ここでも鎌倉とも相模湖が繋がって来ます。
潮引きと北西からの風の偶然が重ならければ、鎌倉幕府が滅亡することもなかったでしょう。
鎌倉幕府守り、また鎌倉幕府(北条家)を滅ろぼしたのは、龍神だったのかもしれませんね。
次の記事で相模湖の御神業の様子を書きますが、今回は七面天女と五頭龍を結ぶことにもなります。
相模湖では産霊宮水上神社を参拝する流れになりました。
「産霊」は「むすひ(結び)」と読み、万物を生み出すパワーを秘めるいう意味です。
今回の旅のキーワードは『結び、相和』でした。
七面天女エネルギーと五頭龍エネルギーを結び、新しいエネルギーを生み出すことになったのでしょうか?
七面天女は乱れた国を鎮めてくれる女神なので、混乱する今の時代が大きく変わって行く予感がします。
そして、旅の最後に現われた五頭龍は何を意味するのでしょうか?
次の記事はこちら↓
相模湖の産霊 宮水上神社、五頭龍と七面天女を結ぶ『13』の旅
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