片埜神社の節分祭、鬼を以て鬼を制す【枚方市牧野】
2019/02/10
新しい世界へ向かう貴方へ
Mariです。
2月3日の節分祭の日に、鬼を守護神とする大阪の片埜神社に行って来ました。
片埜神社は方除、厄除け、病魔除けの神として信仰されています。
豊臣秀頼の代で再建が叶った片埜神社の本殿は、色鮮やかな華美な様式で
国の重要文化財に指定されています。
素戔嗚尊、櫛稲田姫命、菅原道真公を主神として十一柱の神々が祀られています。
また片埜神社は、大阪城から見て鬼門の方位に鎮座します。
大阪城を建設の際に、豊臣秀吉が片埜神社を鬼門鎮座の社として定め、その後、豊臣家に繁栄をもたらしたと言われています。
境内には『大きな鬼の面』があります。
先程まで、雨が降りそうな、どんよりとした曇り空でしたが、すこし晴れてきて鬼の面に太陽の光が射してきました。
「鬼を以て鬼を制す」という思考が見受けられ、節分祭では「福は内!鬼は内!」という掛け声で豆まきされ、善い鬼を鬼神として自分の中にとどまるように祈願する風習があるようです。
「鬼を以て鬼を制す」ということは、鬼門から入ってくる鬼達を「より強い鬼」で制すことであり、また悪いことをなくす為に、他の悪いことを利用するという意味があります。
鬼を除くのに、最強の大鬼を利用するという考えです。
実は、先月、富士山の樹海にいったときも、ガイドさんから同じような話を聞きました。
樹海の毒の植物を食べる虫のことですが、自分の身を守る為に毒の植物を食べるそうです。
それは何故かというと、毒を食べることで、自分自身が毒となり、鳥から狙われなくなるからです。
まさに毒を以て毒を制するという自然の叡智を感じました。
人間の社会でも同じ事が言えます。
例えば、最近はインフルエンザがかなり流行しています。
ウイルスの種類も年々増えてきていますが、
ウイルスに感染するということは、それだけ人間の体の免疫力が弱ってきているからです。
人間があまりにも清潔を意識しすぎて、ウイルスを極度に拒絶するあまりにウイルスに抵抗する力が弱ってしまったのかもしれませんね。
この事から言えることは、悪いものを拒絶するのではなく、それを味方にすることが自然の理なのかもしれません。
ともあれ、時代の変革期に片埜神社を参拝できて良かったです。
片埜神社の鳥居を潜り、本殿の前に立つと鬼のエネルギーを感じました。
と言っても、私たちが普段思い浮かべるようなこわ〜い鬼ではなくて、暖かくてまろやかな波動をしています。
全てを包み込んでくれる大きなパワーも感じました。もしかして…
直観が走ります。
鬼というのは本来温かい心の持ち主で正義の味方なのかもしれません。
いつの時代からか、人間が勝ってに怖い存在に変えてしまったのかも?そんな気がしました。
きっと鬼を怖い存在に変えたのは、権力者なのだと思います。
民衆が、鬼のパワーを自由自在に使ってしまうと、自分達の権力が使えなくなってしまいます。
自分達の権力を維持するために、鬼を怖い存在とし、民衆から離したのだと思います。
今こそ、私達は、権力者に支配されないためにも、鬼のエネルギーを自分の内側に入れる時がきたような気がします。
これから私たちは龍神と女神の時代を生きるようになります。
権力や地位が優位をふるう時代は終わり、自由と個性を重視する時代となります。
これはあくまでもイメージ的なお話ですが、時代を変えるために、これからは鬼のエネルギーが必要な気がします。
鬼のエネルギーが、権力や地位を呑み込んでいき、新しい時代に変わって行くのでしょう。
参拝後ですが、節分祭ということで甘酒が配られていました。
とても美味しい甘酒でした。
また社務所では鬼の御守りが豊富にあり、私は人気のある鬼のお面を購入しました。
ちょっと怖い鬼の顔ですが、鬼門に向け部屋に飾ることにしました。
とても邪気払いの効果がありそうです(笑)
その他にも厄除けのご利益のある「鬼面ストラップ守り」などもあります。
また絵馬や御朱印にも鬼が描かれています。
珍しいですね。
福豆もしっかりゲットしました。
片埜神社の本殿をお参りし、気付きを得て、ふと空を見上げると、鱗雲が一面広がっていました。
とても力強い鬼のパワーをもつ雲です。
長い棒のような雲もあり、不思議な雲だな~と眺めていたら、『鬼の金棒』というインスピレーションが降りてきました。そういえば恵方巻も金棒の意味がありますね。
後で写真を見てみると、この鱗雲には沢山の顔が写っていました。
私には八百万の神々の顔のように見えました。
この鬼の金棒のエネルギーを受け取り、私達は次の神社へ向かいました。
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